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僕らは奇跡でできている。

  

今、目の前の人と出会う可能性って一体どれくらいなんだろう。

目の前の人が友達になる可能性は?

目の前の人が恋人になる可能性は?

そこに至るまでに、たくさんの選択が自分の前にあって

自分じゃどうしようもできない選択もあって

その、無限の選択の末にその人と出会えたとしたら

それはきっと奇跡にも近いものなのかな、なんて思ったりする。

昔友人とこんな話をした。

「僕らも奇跡みたいなものだね」

自分じゃ口にしないような臭いセリフを、彼は平気で言う。

今思えば、そういうところが人として好きだったのかもしれないな。

目の前の人と出会う可能性なんてものは

それこそいろんな偶然の重なりでできていて

よく「縁」なんて言い方をする。

でもこの言い方はあまり好きではない。

本当に、いろんな偶然があって、今の自分、そして貴方がいるというのに

たった一言「縁」で済まされてしまえば

そのありがたみも何も感じられなくなるからだ。

 

今一緒にいる、目の前の人。

そして、今見ているこの光景は

きっと、この世界で、この一瞬だけのものだ。

そしてあらゆる偶然が重なって、今がある。

二度と同じ光景に、巡り会うことはない。

そう考えると、この一瞬がとてつもなく貴重で、大事に思える気がする。

毎日を「浪費」するなんて贅沢はできない。

だって人に与えられた時間は有限なんだ。

昔の思いだったり気持ちはどんどん薄れていく。

だから、その一瞬を、大事にしないといけない。

 

「僕らも奇跡でできている」

その友人は、二人で見たドラマのタイトルを真似て、そう言った。

数えきれない偶然の、積み重ね。

その結果として、

誰かと出会えたことが「奇跡」だとするのなら、

誰かと離れてしまうことも、「奇跡」なのだろう。

別れすらも、数ある偶然の一つであるのなら

それはきっと、次の出会い(奇跡)に繋がる偶然になる。

喪失感でいっぱいになるほど、つらい時期があった。

でも不思議と、自分が「不幸」だと思わないのは、このことが理由なのかもしれない。

あらゆる瞬間はその時にしか存在しない。

そしてその瞬間——偶然の重なりが、別の奇跡を作り出す。

そう考えると、ああ、きっと今つらいことにも意味があるんだって思えて

前を向ける。

 

今この一瞬を大事にしよう。

毎日が奇跡の連続で

その時にしか存在し得ないものでいっぱいなんだ。

そんな奇跡とやらを、僕はちゃんと感じていたい。

 

 

 

 

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