今、目の前の人と出会う可能性って一体どれくらいなんだろう。
目の前の人が友達になる可能性は?
目の前の人が恋人になる可能性は?
そこに至るまでに、たくさんの選択が自分の前にあって
自分じゃどうしようもできない選択もあって
その、無限の選択の末にその人と出会えたとしたら
それはきっと奇跡にも近いものなのかな、なんて思ったりする。
〇
昔友人とこんな話をした。
「僕らも奇跡みたいなものだね」
自分じゃ口にしないような臭いセリフを、彼は平気で言う。
今思えば、そういうところが人として好きだったのかもしれないな。
目の前の人と出会う可能性なんてものは
それこそいろんな偶然の重なりでできていて
よく「縁」なんて言い方をする。
でもこの言い方はあまり好きではない。
本当に、いろんな偶然があって、今の自分、そして貴方がいるというのに
たった一言「縁」で済まされてしまえば
そのありがたみも何も感じられなくなるからだ。
今一緒にいる、目の前の人。
そして、今見ているこの光景は
きっと、この世界で、この一瞬だけのものだ。
そしてあらゆる偶然が重なって、今がある。
二度と同じ光景に、巡り会うことはない。
そう考えると、この一瞬がとてつもなく貴重で、大事に思える気がする。
毎日を「浪費」するなんて贅沢はできない。
だって人に与えられた時間は有限なんだ。
昔の思いだったり気持ちはどんどん薄れていく。
だから、その一瞬を、大事にしないといけない。
「僕らも奇跡でできている」
その友人は、二人で見たドラマのタイトルを真似て、そう言った。
〇
数えきれない偶然の、積み重ね。
その結果として、
誰かと出会えたことが「奇跡」だとするのなら、
誰かと離れてしまうことも、「奇跡」なのだろう。
別れすらも、数ある偶然の一つであるのなら
それはきっと、次の出会い(奇跡)に繋がる偶然になる。
喪失感でいっぱいになるほど、つらい時期があった。
でも不思議と、自分が「不幸」だと思わないのは、このことが理由なのかもしれない。
あらゆる瞬間はその時にしか存在しない。
そしてその瞬間——偶然の重なりが、別の奇跡を作り出す。
そう考えると、ああ、きっと今つらいことにも意味があるんだって思えて
前を向ける。
今この一瞬を大事にしよう。
毎日が奇跡の連続で
その時にしか存在し得ないものでいっぱいなんだ。
そんな奇跡とやらを、僕はちゃんと感じていたい。