彼女いるの?って聞かないで欲しい。 僕の心の整理。

久々に、ゆるーい記事でも。

最近は一つの記事に1万字とか、そこそこ時間かけて書いてるけど、

今日は、あっさり。




最近、いとこに会う機会が多かった。

何かめでたいことがあったから、というわけでもなく、

ただ祖母の葬式関連で、だ。

普段あまり会うこともないのだから、これだけ頻繁に会うのも不思議な感じがする。

僕のいとこは、二人。

姉と、兄。

二人とも(割と最近)結婚して、それぞれの生活をしている。

そんなわけか、二人の結婚相手とも挨拶することがあった。

こうも、“家族イベント”が続くと、なにかとめんどくさいのは

僕が同性愛者だからだろうか。

 

葬儀や結婚式に参列することがめんどくさいというわけではない。

ただ、親戚との関りが、非常に気のつまるというか、なんというか。

そんなところだ。

 

僕の場合は幸いにして、両親にはカミングアウト済みである。

それ故、両親は僕と共に

「親戚付き合いのめんどくささ」

を味わってくれる仲間だ。

戦友とも言ってもいい。

「なつの彼女いるの?」なんて今日、親戚の集う場で聞かれてしまった。

父、母、そして僕の三人添ろって

「きたか……笑」と思ったに違いない。

頭の中で彼氏を彼女に変換しながら話を進める。

それに、母ものってくる。

そして父が話を逸らすように、舵を切る。

姉「彼女と会ったことあるの?」
母「い、いや?すれ違ったことあるくらいかな。手振ったくらい笑」
父「そういや(姉)の旦那さんはどうのこうの……」

でも結局、僕の話題に戻ってきてしまう。

ああああ、せっかくの父の舵裁きも無駄かいな。

てかどうしてこう、「彼女いるの?」なんて聞くのかな……。

男は女に、女は男に。

どうやらこの世界では異性を愛することが当たり前らしい。

彼らの頭の中では、僕に彼氏がいるということなんざ、微塵も想定されていないのだろう。

「はぁぁぁぁ……」

なんてため息を聞かれたらまずいので、代わりに近くにあるソフドリを飲み干した。

いや、まぁね、わかるよ。

この日本で暮らしてれば、そりゃね、想定できないでしょうよ。

だってどっかの爺さん、「LやGの人が身近にいない」とか言っちゃうんだもん。

そんな日本なんだもん。

いやあんなぁ、「見えないものを居ない」と考えるのは危険よ?

まぁそんな話はおいておいて。

 

何事においても、自分の杓子定規で測れないもの、というのは、容易に存在し得る。

人間というのは、各々の持つ主観でしか世界を見ていない。

というか、見れない。

例えば、お酒を飲んでいる時。グラスの半分を下回った時あなたはどう感じるか。

もう少ない!と感じるのか、まだ半分もある!なのか。

例えば、SNS上に自撮りをたくさん載せたり、肌色の多い身体を載せてみたり、「ツイドル」を気取っている人を見たら。

こういう人を指して、「自己顕示欲の塊ですかw」とツイートするか。

それとも「まぁいいんじゃない?」とスルーするか。

ちなみに僕の場合、お酒は飲めないので、「あああ…まだある……苦笑」だ。

それから、「まぁいいんじゃない?」とスルーしようとする方だ。

「自己顕示欲の塊」と評価するのも、ツイートするのも自由だが、

ここには、「正しいかどうかも分からない脆弱な」主観をもとに

「他人をネガティブに評価する」という傲慢な姿勢があるように思えてならない。

(故に他人を「不細工」やら「うざい」やら評価し、陰で共感者を集め広める行為もまた、ひどく嫌悪する。)

 

人間は常に主観的な生き物だ。

故に、他者に対し「否定」で入る者は、この上なく私がそうなりたくはないと、願う人物像である。

だから決まって、

「え~そんなことないっしょw」

と言われ否定された時、

「俺にとっては、そうなんだよ」

と答えるようにしている。

正確には、

(あなたの中では、“そんなことない”のかもしれないけれど)

俺にとってはそうなんだよ。(にっこり。)

だが。

つまり、僕がなりたいと求める人物とは、

「“主観”を用いて相手の“主観”に殴り込みにいかない人」

だ。

……なんて難しい人物像だろう。こんな人になるのにも、まだまだ道のりは長い。

(ここでの「殴り込み」とは「否定」のことと考えてもらってよい。)

てかどうしてこう、「彼女いるの?」なんて聞くのかな……。

恋人いるの?でいいのに。

これも、結局のところ僕の主観的意見だ。

でも時として、こうした主観的意見は個人の元を離れ、多くの人の主観と交わり

「常識」を作り上げる。

そしてあたかも常識を、「真理」のようにとらえ、武器とし振りかざし、

その常識を構成し得ない主観的意見を持つ人を殺しにかかる。

常識も、結局のところ一集団の主観でしかないのにも関わらず、だ。

(多くの場合、こうしたいわゆる「真理」を武器として振りかざす人は「正しさ」という虚像をたてに自身の行動を正当化させるため、非常に質が悪いのだが。)

故に。

男が恋愛対象とするのは女性である、という認識:主観

(時として特定の集団の「常識」)

同性を愛する人も一定数いるのだから、異性愛前提として話を進めるなという認識:主観

(異性愛を前提とすべきではない、という、特定集団の「常識」)

という構図になってしまうわけだ。

「なんで異性愛前提なんですか……」

相手に辟易し、あきれるのは

主観を押し付けそこに胡坐をかくことと同義であろう。

自らに多大な害が及ばぬ限り、そういう主観もあるのだと、冷静に処理すればいいことだ。

 

……要するに小難しく言ってるけれど、みんな個人の意見なんだから、そこに激しく一喜一憂する必要ってないし、かといって否定するものでもないよね、っていう

そんなお話でした。ちゃんちゃん。

 

あ、言うまでもなく、この記事内容は僕の主観的意見でしかないから、

みんな自分の意見大事にしてね。

また別の記事で!ばばい!

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