24歳同性愛者の僕が思う、将来のこと。

この記事を読んでくれる人の中に、どれくらいいるのだろう。

自分の将来を、明確に描けている人は。

 

最近、少しばかり考えることがあった。

それはきっと、今すぐに答えが出るものでもないのだけれど。

でも、多かれ少なかれ、というよりかは

ほぼ確実に訪れるであろう、自分の将来のことだ。

 

同性が好き。

この時点で、他の多くの人間と異なる生き方をすることは、確実だ。

だから、はなから「普通」な生き方ができるなんて、思っていない。

(「普通な生き方」とは、結婚して、子供を授かって、家庭を築くこととする。)

でも、そんな普通な生き方も、実は数多ある生き方の選択肢のうちの、一つであることを、

理屈の上じゃ理解している。

自分じゃそんな選択肢、選ぶ確率の方が少ないから、普段は意識しないのだけれど。

 

友達に、彼女ができた。

それは、今までに男性と交際経験のある男の友達だ。

僕は彼を「仲間」として思い、仲良くしていた。

でも、そんな彼に、彼女ができた。

「もし、彼女ができて、“将来”を考えるのであれば、そろそろなんだよな。」

そんな風に、彼は話していた。

彼とよく行くお寿司屋さんで、彼は唐突に話を始めた。

そろそろ、とは、子供のことを見越してのことだった。

そんな話をしてから、久しぶりに意識したと思う。

普段はまったく意識もしない、「普通の生き方」を。

   

「それで幸せになれるのなら、いいと思うよ。」

 

僕は、彼の選択を尊重したかった。

彼が自分で考え、決めた、生き方だから。

それは誰にも否定されるものでもないし、邪魔されるべきものでもない。

でも、心なしか寂しいと思ってしまった。

自分と同じ、仲間だった人が

あっち側にいってしまう。

うまく言葉にできないけれど、そんな思いだ。

 

昔、高校生の時片想いをしていた。

自分とは違う、「普通の生き方」を選ぶであろう人を、好きになった。

僕と彼の間には、見えない線が引いてあって、

ある一定のラインから、踏み入れることができないような、そんな感じがした。

好きな人、だったのに、僕は彼に近づくことすらできなかった。

「ああ、そうだ。この人は、自分とは違う人間なんだ。」

好きな人なのにそう感じてしまうのは

まだ十代の僕にとって、少し残酷だったと思う。

 

昔の思い出は、思い出にすぎない。

でも、あの日と似たような気持ちが、心に浮かぶ。

昔の思い出と、その時の感情が、ちょっとだけ。

「まっすぐに、彼の選択を尊重できたらいいのに。」

なんで、それができないんだろう。

あの日の気持ちが、邪魔をする。

「人間、みんなそれぞれ違うんだ。だから、結局は皆孤独で、その孤独を埋めるために、誰かの側にいる。」

それだけのこと。

でもどこか、「自分だけが孤独なんだ」という昔の、幼い気持ちが蘇る。

 

なんだか懐かしいな。

昔の自分に、戻ったみたいだ。

 

「ああ、この人は、今まで仲間だったのに、結局は違う人なんだ。」

ではない。

「もともと違う人間で、でもいろんな点が似ていて、たまたま出会えて、仲良くなれた。だから違う点があるのは当たり前。」

「…だったら、違いで悲しむより、似ている点を喜んだ方が、幸せなんじゃないかな。」

同性を愛すること、異性を愛すること、両性を愛すること。愛することをしない人。

別にこれらは、数多ある違いの一つであって、同時に共通点の一つにすぎない。

違いで悲しむくらいなら、似ている点で喜び合おう。

 

異性愛者の多くには、人生のモデルケースがあって、それが社会に浸透している。

だから、何歳までに、こうすればいい、っていう人生の設計がしやすい。

でも僕らにはそれがない。

でもモデルケースって一体なんだろうね。

結局はそれが一つの見本にすぎなくて、選択の一つにすぎない。

だから、「その選択ができるか否か」で悲しむ必要はない。

だから、その違いで、悩むことなんてない。

 

僕も将来、自分の選択に胸を張れるように、頑張らないといけないね。

その過程で、いろんな人との共通点を、喜べたらいいな。

 



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