大学生の頃⑦ 身体の関係を持った人と、価値観の優劣

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では、続きです。

 

 

体の関係を持った。

付き合う前に。

元々、何度か会ったことがあって

なんとなく、かわいいな、なんて思ってて

そんな人と二人で遊ぶことになった。

人気のないところで、キスをされて

気づけば、

その日のうちに。

 

目次

見たことない部分

見たことない一面とかそういうものを見せられることに弱い。

もちろん自分の好みだってあるし、自分が興味を持っている相手に限るけれど

そんな人に、あんまり公に見せないようなそんなものを見せられると

恋愛感情とはいかずとも、惹かれてしまう。

まぁこの場合、人に見せない一面というのは、物理的な方であって

イメージできる、その言葉通りのものとは少し違う気もする。

すごく近くなった時に見る顔とか、表情。

キスしてしまった後の顔。

普段見せない顔だ。

細かく書くと生々しくなってしまうので避けるけれど、そういう時間の、そういう類の顔。

正直、付き合う前とか後とか

そんなものにこだわることなんてなかった。

それに、体の関係を持ったからといって恋人関係につながるという考え方もなかった。

こだわりがないというのか、抵抗がないとも言うのか。

多分、その相手もそういう人だった。

むしろ自分が会ってきた人は、そういう人ばかりだった気がする。

順番を大事にするのもいいのだろうけれど、その順番に固執する理由が思いつかない。

自分の中にそういう価値観がないから、思いつかないだけなのかもしれない。

 

この「界隈」は、そういう人が多いのかもしれないな。

自分も含めて。

ともかく、

そのあたり、自由にするのも、順番を守るのも

そのどちらがいいとか、悪いとかそういうものは多分なくて、

どちらもただ、そこにあるだけで

優劣なんてものはない。

世の中色んな考え方の人がいるし、その違いが顕著な時、快不快が生じるのだろうけれど

それは単に自分と近しいかそうでないかの違いであって

相手が自分に劣る価値観を持っているとか、そういう話ではないと思う。

 

間違いとか正しいとか

間違っているとか、そんな感覚ははなから持っていなかった。

自分が同性を好きになった時点で、そのこと自体思っていた普通じゃないのだから

今更、何かを正しいことのように思うことなんてなかった。

人に言わせれば、同性を好きになるなんて普通じゃない。

世の中の大半は異性に好意を抱く。

その大半から外れている。

だからこそ、大半が正しいとか、少数が間違っているとか

そんな感覚はもう自分の中にはなくて

ただ純粋に、二つの違うあり方が同じレベルで、そこにあるだけなんだと思っている。

 

恋愛に順序をつけたがる人がいた。

付き合う前に体の関係を持たない。

このことを、善とする人がいた。

別に個人の感覚に対し何か思うこともない。

好きにしたらいいと思う。

けれど、その人は明らかに、自分の持つそのあり方こそが正しくて、そうではない他のあり方を間違っていると、捉えていた。

そういう人が多い、この「界隈」を汚いと嘆いていた。

その人の中では順序が決まっていた。

正しいほうとそうでないほう。

その人の中ではそれが正しいと、優れているとされていた。

 

人の価値観に、上下の順番がある考えには、すごく不思議な気持ちになる。

その人も、きっと過去に自分が同性愛者ということに気づき

世の中で普通とされるものには属することができないのだと、

自分はアブノーマルなのだと気づいた経験があると思う。

正しい方とそうでない方。そのそうでない方に属していると、気づいてしまった経験があるはずなのだ。

マイノリティとして世間から冷ややかな目で見られる。

そんな経験を一度はしているのにも関わらず

その人は、自分がよくないと断じる価値観を持つ人を、冷ややかな目で見ていた。

ミイラ取りがミイラになってしまうというのか、なんと言ったらいいのかわからないけれど、なんだかそんな風に思った。

いじめられっ子が、誰かをいじめている。それを見ている感覚。

まぁ僕からしたら、そんなことですらご自由にどうぞ、なんていう気分なんだけれど。

 

何かの優劣

…学生時代の浮いた話、雑に言うならば、学生の時誰かと寝た話を皮切りに、こんな重たい話に繋がるとは思わなかった。

もうちょっと簡単に軽い話にするつもりだったのになぁ。

でもきっとこの部分、特に「やった後付き合うのか付き合う前にやるのか」なんて言う議論は実は同性愛者の中だけであるものでもなくて、異性愛者たちの間でも共通にして存在しているらしいのだから

別にそのことを指して大それたもののように扱う必要もないのかな、なんて考えてみたりもしている。

誰かと親しくなる方法に共通のルールなんてないし、その種類に違いはあれど優劣はない。(これも僕個人の意見ではあるけれど)

そこに優劣があると考えるのもまた一つのあり方ではあるが、それを否定するつもりも肯定するつもりもない。

 

どうか勝手にやってくれ。僕とその周りに危害がないのなら、なんだっていい。

ただし僕はあなたと同じになろうとは思わない。

そんなところなんだと思う。

 

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