今日は親友へのカミングアウトについて、まとめていきます。
前回、前々回の記事は以下からどうぞ。
両親へのカミングアウトの記事、実は多くの人に読んでいただけました。
現在680人ほど。TwitterではたくさんのRTといいね、加えていくつか感想もいただくことができました。
本当にありがとうございます。
今日はカミングアウトシリーズ三つ目、僕の親友についてです。
(僕が一方的親友と思っているだけかもしれませんが。笑)
それではどうぞ。
大学生になってから
大学生になってから、一番初めに打ち明けた人がいた。
同じ学科の人で、入学初期から仲良くなった人だった。
当時僕は浪人期を経ており、周囲の同級生はみな年下。
年齢なんて気にするものでもないが、当時の僕にとっては、ある程度の居心地の悪さを感じていた。
当時よく絡むメンツの中に、そいつはいた。
サークルの勧誘が始まり、いろんなサークルを一緒に見て回っては、飲み会に参加した。
当時の僕の中には、他人に対して一種の軽蔑心があった。
それは、先の記事(バイト先でのカミングアウト)にも書いたように、
「人生に悲観する経験もなく、恋愛もろもろにうつつを抜かす、温室育ちの奴ら」
という見方だ。
加えて、僕は浪人してもなお、受験に失敗した。
自分の希望する大学よりも、学歴の低い大学に進学することになった。
こうした背景から、休み時間、馬鹿みたいに騒ぐ同級生や、授業中もおしゃべりがやめられない人たちを見て、周りが自分よりも幾分か幼稚に思えたのだ。
学もない。その上幼稚。
そんな奴らと自分とが、同じに扱われるのは不服極まりなかった。
唯一救いだったのは、自分は「特待」入学を果たし、授業料四年分を免除されていたことだろう。
母にはひどく喜ばれた。
今から思えば、こうした他人を軽視する考え方こそ幼稚だ。
そう思えるようになったのだから、大学生の間にずいぶん成長できたのではないだろうか。
こんな風に回りを疎ましく思っていたにも関わらず、仲良くできる友人たちがいた。
頻繁に遊ぶことはなくとも、適度に連絡を取り合える仲だったと思う。
そのうちの一人が、最初に打ち明けた人だった。
ノリと勢いで打ち明けたこと。
打ち明けたのは新歓飲みの後、帰路につく時だ。
「え!俺も浪人!」
そんな風に、二人の間で盛り上がった。
そいつが自分同様、浪人を経ていたことが分かった日だった。
仲良くしているメンツのうちの一人に、自分と同じ浪人上がりがいる。
小さな共通点が見つかった。
同い年という事だけでも、すごくうれしかったのを覚えている。
人間関係の中で、共通点がもつ役割は大きい。
それは恋愛においても、友人関係においても言えることだろう。
事実社会心理学では、類似点によって相手に好感を持ちやすくなることが証明されているほどだ。
この日はそこそこに酔いが回っていたと思う。
お酒がほぼ飲めない自分でも、新歓という雰囲気によって普段よりも飲めていた。
少しふわふわする意識の中、帰り際、新宿駅のホームで打ち明けてしまった。
お酒の勢いはもちろんあった。
それでも、「きっと話しても大丈夫だろう」という自信があったのだ。
何故だかは分からない。
でもそいつの普段の言動や立ち振る舞いから、そう判断したのだろう。
誰かに打ち明けることは難しい。
それはそれまでの関係を、容易に壊しかねないからだ。
大前提として、
自分のことを勝手に、他人に言いふらさないこと。 自分のことに嫌悪感をもつことなく、今後も関係性を継続していけること。
この二つがなければならない。
日頃の関わり合いから、信頼がおけるかどうかを判断する…
打ち明ける上でこれは、僕にとって必要なことなのだ。
打ち明けてから
打ち明けた時言われたこと、それは「なつきはなつきだから」という言葉だった。
そして「話してくれてありがとう」とも言ってくれた。
僕の両親と同じように、彼は受け入れてくれたのだった。
彼曰く、こうした、「他人に容易に言えないような秘め事」を打ち明けてくれたことが、うれしかったらしい。
それはきっと、僕の彼への信頼が、うれしかったという事だろう。
まさか、打ち明けた自分が感謝されるとは思ってもみなかった。
僕のカミングアウトは、「君のこと信頼しているよ、だから話すよ」というメッセージを、暗に伝えていたのかもしれない。
彼とは、そこからかなり仲良くなれたと思う。
お互いに恋人ができれば紹介し合った。
事実僕は彼の恋人をみんな知っている。彼も同様だ。
真っ先に報告してくれるのがうれしい。
さすがに彼に「初体験」の報告をされた時は、思わず笑ってしまったが。笑
とても良い思い出だ。
彼との共通点
彼に打ち明けたのは、大学一年の春だった。
そこから卒業した今でも、たまに連絡を取る仲である。
彼とは、他にもいろいろな共通点が見つかった。
今となっては、あの日打ち明けたことは運命だったのかと思うほどに。
〇
大学四年になって、彼を含めた友人たちとキャンプをすることがあった。
一年のころから一緒に授業を受けていた友人たちだ。
その夜、彼とサシで話す機会があった。
空気が澄み、星がたくさん見える夜だった。
彼はおもむろに話をしてくれた。
それは彼からの「カミングアウト」だった。
今まで僕以外に話をしたことがない話だった。
それは、彼の中にある、自殺思念についてだった。
〇
彼は、死にたいと願っていた。
それはすぐにでも、「全てを投げ出したい」というような思いではなかった。
どこかゆるやかなものだと感じた。
その理由について、ここで書くことは控えたいと思う。
でも黙って話を聞く中、僕は彼の意思を否定することができなかった。
昔の自分も、死を願っていたからだ。
「死なないで」と言うのは簡単だ。
でも僕はそんな無責任なことは言えない。
だから一言、
「もし死んでしまったら、悲しい。」
そう伝えた。
今目の前の人が、死を考えている。
そう思うと、いたたまれなくなった。
思わず後ろから抱きしめた。
星がよく見える、暗い夜だったからかもしれない。
彼が今、遠くへ行ってしまうような気がした。
死にたがりと死にたがり
昔、自分も彼と同じ「死にたがり」だった。
高校の帰り道、駅のホームで黄色い線の外側を、わざと歩いてみたりもした。
今誰かが自分のことを、突き落としてはくれないだろうかと、何度も何度も、思った。
「あー…そっか。こういうことか……」
ため息交じりに、そんな言葉が口からもれる。
この世の全てのものには、必ず意味があると、よく聞くけれど。
あの時彼に出会って、仲良くなって、彼に打ち明けた意味は、全てここにあったのかなって。
〇
心理学者ユングの言葉に「シンクロニシティ」という言葉がある。
「意味のある偶然の一致」という意味だ。
たまたま、彼と僕の間にはいろんな共通点があった。
でもそれはきっと無意味ではない。
夜、星空の下で彼が僕に打ち明けてくれたことを考えれば、
その三年も前のあの日、駅のホームで彼に打ち明けたことは、偶然ではあっても、大きな意味があったと思う。
彼は今、きっと元気にやっている。
こないだの僕の誕生日に、変な踊りを踊っている動画が送られてきたばかりだ。
彼が今何を考えているかはわからない。
でもこうして生きているのだから、それで十分だ。
彼は僕の幸せを喜んでくれる。
だから僕も、彼の幸せを願っている。