大学生の頃① 比較の中で生きる

肉食動物というのは、目が前に二つともついてる。

物事を立体的に捉え、相手との距離感を正確に測り捉え、そして捕える。

草食動物は、目が横に付いている。

広い範囲を見渡すことで、瞬時に周囲の状況を判断する。

 

どちらがいいかという話ではない。

けれど物事、

ひいては獲物に対しがっついているような姿勢を、最初に「肉食」と言った人は多分

「草食」的な人なんだと思う。

目次

大学生になって

入学して最初に思ったこと。

周囲の同級生が、みな幼く見えた。

 

入学してすぐ話すようになった友達がいる。

そこから徐々に、一緒に授業を受ける友達というのが増えていった。

でもその友達を除く、他の同級生を見て唖然とした。

授業中黙って座ってられないやつ。

とにかくうるさくて、声がでかいやつ。

高校を卒業して、ほぼ同い年の人たちに

ここまで子供っぽい人が多いのかと驚いた。

動物園みたいだなと感じた。

 

自分の大学は、一応都内で名の通った大学だった。

一年浪人をして、そこの奨学生として通うことができた。

自分なりに努力したつもりだ。

授業の最中、動物園のように声のでかいやつらは大体が内部進学。

そういうこともあってか、自分の中で無意識的にも見下している部分があった。

彼らのことを好きにはなれなかった。

苦労している人

 

自分は高校時代、希死念慮を抱くほどに苦労をしている。

今後の人生を考え、理想に裏切られ、挫折も経験した。

その一方でどうだろう。

自分の同級生はおそらく、そこまでの苦労をしていない。

その人が実際に苦労したかどうか、その真意は定かではないが

授業中騒ぐような能天気さ、体だけ大人になってしまったような愚かさが滲む彼らを見ていると、どうにも苦労しているようには思えなかった。

 

自分の人生を一度でも悩み考え、乗り越えてきた経験があるとすると、

そこにはその人の哲学的なもの、芯となる価値観が出来上がる。

そういう人は決まって、話すと面白い。

自分のことを自覚した上で、ブレない価値観を持っている。

それでいて、すごく柔軟だ。

でも、同級生はどうだろう。

彼らにはそういう魅力を微塵も感じなかった。

比較の中で生きる

この時の自分は幼かった。

誰かと比べる、比較の中で生きていた。

比較の中で生きるのは、永遠に競争の中で生きることと同義だ。

自分と相手、どちらが優れているのか上下の物差しで捉えている。

自分より優れている人を見ると、悲観的になる。

一方で、実際自分が優っていると思っていても、その相手が自分を追い抜いていくかもしれない、という恐怖がある。

買っても負けても、だ。

競争の中で生きていると、永遠に休まることがない。

 

自分の考えはあくまで自分の考えであって、主観性を捨てきれない。

当時の自分は、多分それを認識していなかった。

自分と比較し、その上で、彼らを見下すなどしていた。

実際のところ、彼らには彼らの生き方があるし

苦労したところも多かれ少なかれあったに違いない。

というよりも、そもそも自分の苦労というものは他人と比較して

大きいも小さいもないのだ。

そこにあるのはただ個人の経験としての苦労があるだけで、

比較なんてできるものでもない。

 

主観的な考え方に固執すること、

決めつけること

比較すること

その全て、幼かった自分が持っていたもの。

そういうものに囚われている自分自身のことを、

今の自分は幼いと判断する。

 

あれから、少しは変わることができたのかな。

少しはマシになってると、いいと思う。

 

 

 

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