高校生の頃20 両親へのカミングアウト・後

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高校生の頃19 両親へのカミングアウト・前 高校を卒業して、その春に自分が同性愛者だと両親にカミングアウトした話。 きっと自分の親も、結婚や孫の顔を望むようなそんな人で、自分のことなんて受け入れてくれないのではないか。そんな親ならいっそ、縁を切ってしまおうー そう思い、旅行に出かける前、勢いに任せ手紙で打ち明けた話。

では、続きます。

 

縁を切るような、そんな気持ちで投げやりにも打ち明けたこと。

その話の続き。

両親が嫌いだったからこそ、打ち明けるのも簡単だったのかもしれない。

もうどうでもいいと、そう思えてしまったのなら

両親の反応だって怖くはないし、

どんなことを言われても

人ごとのようにできるから。

 

目次

打ち明けた後

A4用紙に自分のことを書いて、家の階段においてきた。

自分が同性も好きになると、打ち明けた手紙。

そうして家を出た旅行中、メールが来た。

「帰ったら、話そう」

驚きだったり、呆れだったり

そういう、自分が予想していた感情はなかった。

淡々とした、いつもとかわらない文章だった。

 

旅行から帰り、家につく。

「ふーっ…」っと息をはき、玄関を開けた。

自分の家に帰るのに、初めて緊張してしまった。

ドアを開けるとすぐ、母が迎えてくれた。

 

「手紙、ありがとう。」

 

自室にはいり、母が口を開いた。

 

「やっとあなたのこと知れた。だからうれしかったよ。」

 

母の顔がみれない。

少しの間があり、母が話をつづけた。

 

「私ね、あなたが学校の話を全然してくれないから、何もわからなかったんだ。

どうして予備校嫌なのかなー。携帯使いすぎるのもなんでだろう。

遅れた反抗期かなって思ってた。

家で何度も泣いてたんだね。気づけなくてごめんね。

そう言えば小学校の時もさ、脱水起こして体調悪いのに、ふらふらになって家に帰ってきたよね。

先生にも相談していいのに、しんどくなるまで我慢しちゃう。

昔から我慢強いんだから…。

でも、こうやって話してくれたから、やっと全部わかったよ。

うれしかった。学校の話をしない理由も、全部わかった。

つらかったよね。…でも、死なないでくれてありがとう。

生きててくれて、ありがとう。

……よく頑張ったね。」

 

母の顔が見れなかった。

親の前で泣くのは恥ずかしくて、顔があげられなかった。

誰かに泣き顔を見せたのはいつぶりだろう。

初めて気づいた。ずっと、誰かの前で泣くことができていなかった。

 

「好きな子、彼でしょ?優しそうだもんね。」

「…昔から、なんとなく、あなたはそういう子なのかなって、実は思ってたんだ。

幼稚園の時から、女の子と遊ぶことが多かったからね。

でも、小学校にはいってから好きな女の子できてたし…笑

でも、あなたはどんな子になってもいいって思ってたんだよ。

うちの子はうちの子だからって。」

 

「あと…子供や家族のこと、気にしなくていいよ。

孫の顔は見せても見せなくてもいい。

それにね、家庭をもつことだけが幸せじゃないよ。

ママの友達にも、結婚せずに幸せにしている人だっている。

だから、あなたは自分の幸せを見つけてほしいな。

そのためなら、ママもパパも手伝うし、あなたの幸せが、私たちの幸せだから。」

 

 

 

こんな風に言われるとは、思わなかった。

親ならば、息子の結婚式に参加したい。

孫の顔を見たい。

それが「普通」で、そうなることが自分の「幸せ」でもあると思っていた。

でも、違った。

僕の両親は、まだ見ぬ孫の顔なんかよりも、

目の前にいる僕の、僕らしい幸せを、ずっと考えてくれていた。

そして、こんなにも簡単に断言した。

 

僕の幸せが、私たちの幸せであると。

 

久しぶりに見た顔

いろんな「親」が、世の中にはいる。

孫の顔を望む人、自分の子供でさえ、受け入れない人。

そして自分の両親も、そのうちの一人だとばかり思っていた。

 

でも、カミングアウトをして、僕の中の普通は180度変わった。

初めて自分ではない誰かに、自分の存在を、無条件に認められた。

 

幸せは、人の数だけある。

そう母は教えてくれた。

初めから母の中に、僕の思う普通は存在しなかった。

 

父とも、母の後に話をした。

父は母とは違い、長々と話をすることはなかった。

しかし言葉数は少なくても、母と同じくらい僕の幸せを想う気持ちが伝わってきた。

父も母も、思いつめた顔はしていなかった。

むしろ安心したような顔だったと思う。

 

久しぶりに両親の顔を

ちゃんと見れたような気がした。

 

母のこと

母はサバサバしたような人だ。

他人に執着することはなく、「人は人、私は私」というような意思が、はっきりと見えるような人だ。

でも一方で、自分のことや家族のことになると神経質で、心配性なところがある。

 

母は学生のころ、美術系の学校に通っていた。

父との出会いはその学校だったらしい。

母の友達に、学校の先生を好きになってしまった人がいた。

友達は先生のことを慕っていたのだが、先生はパリへ飛ぶことになってしまった。

当時友達はそのまま先生についていき、パリでアシスタントをするようになった。

母も、友達と先生を尋ねるため、パリへ何度か向かった。

そこで分かったことらしいのだが、先生はゲイだったようだ。

先生の邸宅へ挨拶に向かった時、先生は男性のフランス人と同棲していた。

 

先生は後、エイズで亡くなった。

もう何十年も前だ。当時は感染症で亡くなる同性愛者が多かったと、母から聞いた。

母は昔から世界に飛び回る人だった。

旅先で友達を作り、文通をするような人だ。

こんな経験が母にはある。

きっといろんな人と出会い、価値観の相違を乗り越えてきたのかもしれない。

自分の知らない人と出会い、母の中に無かったものに、たくさん触れていったのだと思う。

それが、僕の母を作り上げたものだった。

それは机に向かい勉強するだけでは身につかない。

一昼夜では得られず、自分の足で得られるものだった。

だからこそ、僕のことも受け入れることができたのかもしれない。

そして幸せの形が無限であることも、僕に教えることができた。

 

嫌いだった母を見る目が変わった。

小さな世界で生き、そこでの普通に染まってしまっていた僕に、たくさんの可能性を見せてくれた。

いろんな世界をみてきた母だからこそ、できたことだった。

 

こんな人に自分もなりたいと、憧れた。

 

エピローグ 名前のこと

僕の名前はすごくシンプルだ。由来は「夏に生まれたから。」

あまりにもシンプルすぎて「それだけかよ笑」と思ってしまうほどだったが、僕は自分の名前が大好きだ。

そこには父の思いがあった。

「生まれてきてすぐの子供に、大きな期待をのせるのはかわいそうじゃないか。

だから、名前に親の期待なんかあれこれのせず、シンプルにしよう。」

そんな思いだ。

この話を聞いてから、一層自分の名前が好きになった。

この名前は、両親の優しさと、謙虚さの表れだった。

 

孫の顔と同様に、親は自分の子供にいろんなものを期待する。

「今まで育ててきてやったんだから」と思う人もいるだろう。

僕の両親には、それが感じられなかった。

時折、「家にお金いれてー笑」とは言われつつも、「親孝行しろ」とは言われたことがない。

自分が息子にしてきたことへの見返りを求めず、謙虚である姿勢。

本当に、僕の幸せだけを求めてくれているんだな、と感じる。

それが名前からも強く、伝わってくる。

本当にかっこいいと思った。

父のようにもなりたいと、そんな風に思う。

 

親孝行

自分のことを打ち明けてから、両親に対する見方が変わった。

自分の中にある価値観も、大きく変化した。

今の自分があるのは、まぎれもなくあの時の両親のおかげだ。

大嫌いだった両親も今では大好きだ。

尊敬する人は誰かという問いに間違いなく、両親と答えられる。

 

両親のようになりたい。

できるなら、それ以上に。

「親の背中ってこんなに大きいんだ」

自分のことを打ち明けて、そんなことを感じ、

人生の転機にもなった。

 

こんなにもかっこよくて、なおかつ自分を愛してくれている人がいる。

そのことが分かったとたん、ずっと胸の内に重く潜んでいた希死念慮は、消えてなくなった。

死にたいなんて思うことは、もう今後ないだろう。

 

自分の幸せが、僕の両親にとっての幸せになる。

もちろん、今僕は幸せだ。でももっと幸せになって、両親を幸せにしたい。

そのための努力ならいくらでもできると思う。

 

幸せになる。

それが

僕が自分で、自分からしたいと思った

僕なりの「親孝行」だ。

 

 

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