高校生の頃19 両親へのカミングアウト・前

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では、続きです。

 

今までずっと嘘をついていた。

というより、隠していた、というのが正しいのだと思う。

良くも悪くも

平気なふりをして隠してしまうことが、得意だった。

 

ちゃんと伝えられて良かったのだと

今は思う。

平気なふりをして、我慢しきれなくなり

取り返しがつかなくなる、その前に。

 

 

目次

卒業してすぐの春に

両親へのカミングアウトをしたのは、高校卒業後すぐの春休みだったと思う。

浪人が決まりもう一年、勉強を続けることに決まった頃。

その時中学時代の友人たちと、旅行に行く機会があった。

皆が大学に進学する前のこのタイミングがいいと、旅行を計画したのだった。

 

この旅行は絶好の機会だった。

二日以上家を離れることができる。

A4サイズのノートを切り取り、手紙にした。

口で伝えるよりも確実に、かつ簡単に打ち明けられるからだ。

5枚ほどの手紙を書き、旅行に行く当日の朝、黙って家の階段に置いた。

そして逃げるように、家を後にする。

 

自分の目の前で読まれることは、避けたかった。

これから先のこと

いろんなことを考えた。

でも何より考えたのが、これから先のことだった。

結婚や子供のこと。

打ち明けようと決めた一番の理由は、その先の両親との関係を考えたからだ。

「結婚はしないの?」「彼女は?」

もしこのまま自分のことを隠していたら

自分の人生に口を挟みにくる両親の姿が、容易に想像できる。

 

素直にめんどくさいな、と感じた。

自分が打ち明けるまで一生変に干渉されるのであれば、いっそ事実を言ってしまおう。

そう思った。

 

当時、両親が嫌いだった。

 

中学時代の僕は、「優等生」だった。

生徒会の役員を務め成績もそこそこ、偏差値上位の高校に筆記試験無しで合格した。

これだけ努力したのだ。

高校生になったからには、少しでも「自由」でいたかった。

けれど入学してからすぐ、予備校に行くことを半ば強制された。

 

毎日が憂鬱でしかなかった。

こうした状況に重なるようにして、クラスの友達を、それも男の子を好きになってしまった。

自分自身に葛藤する毎日が始まった。

そんな中で僕はどうにかして、自分がどういう人間かを知りたかった。

自分のように、同性を好きになる人なんて他にいるのだろうか。

自分はなんなのだろうか。

その答えが欲しかった。

でも周りに同じような人はいなかった。

頼りにしたのが、ネットの世界だった。

ブログを通じて、はじめて同じような人と出会うことができた。

それでも当時叶わない恋をしてしまった事実は、当然変わらない。

加えて「自分は気持ち悪い人間なんだ」という思いも、消えなかった。

自己嫌悪にさいなまれることが、日に日に増えていった。

死にたいとも思うようになった。

 

ネットだけが、唯一の救いだったのは事実だ。

自分と近しい人と接していられる。顔も見たことないような人だけど、それでも十分だった。

しかしその救いも、奪われるリスクがあった。

当時ガラケーを使い続けており、スマホデビューを果たせていなかった。

インターネットは定額ではなく使用した分だけ通信費が高騰していく。

家にパソコンもなく、ネットの世界に繋がるには、携帯に頼るしかなかった。

当然、携帯の通信費は徐々に大きくなる。

携帯電話を取り上げると、脅されることもしばしばあった。

 

自分自身に悩み、自分の将来に絶望した。

当然、勉強や部活には身が入らなくなる。

ともすれば、両親からの圧力が増すのは目に見えていた。

こうした中唯一の「逃げ場」を脅かされながらも一日一日を過ごした。

どこにいても、心が休まるところはなかった。

 

こうした中で両親を嫌うことは、必然だったのかもしれない。

 

 

「嫌いな両親とは、距離をとろう。」

「打ち明けたところで理解されないのであれば、その程度の親だったということだ。」

「その時は家を出て、一人で暮らそう。」

子供じみた考えだ。

「俺は俺の人生を生きるから、関わるな。」

そんな風に思っていた。

もうどうでもいい、と。

手紙を置いた時、その場から離れたいとは思ったが、不思議と緊張はしなかった。

「ひとりで生きていく。」…そんな決意表明だったからかもしれない。

ひとりで生きていくのなら、もう両親の反応はどうでもいい。

彼らが嫌いだったからこそ、勢いにまかせ打ち明けることができたのかもしれない。

 

何故打ち明けたのか。それは、子供なりに一人で生きていくための、必要な儀式だったからだ。

死にたいと思いつつも、自分が唯一できた、現実への逃避と抵抗だった。

 

 

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