高校生の頃21 変えられない気持ちと19歳の自分

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では続きです。

 

自分の気持ちは早々に変化することなんてない。

だからこそ、

その気持ちを忘れてしまうくらい

時間が過ぎるのを待つしかないみたいだ。

 

目次

卒業してからのこと

浪人が決まって、卒業してからももう一年、勉強をしないといけなくなってしまった。

学校にはもういれないから、ひとまず予備校に一年通うことに。

一年予備校に通うだけで数十万の出費なのだから、この辺りは申し訳ないと思った。

 

自分のことに気づいてしまった、一年生の頃。

確か夏頃だった気がする。自分のことを受け入れることができず

片思いの気持ちを抱え、勉強も何も手がつけられなくなった。

部活動も、2年か3年の頃に辞めてしまった。

上から3番目という部内の順位も、いつしか下から数える方が早いほどになった。

自分に余裕なんてない。

勉強も部活も手につかない。

そんな時期だった。

そんな状態で受験を迎えても、思うように進むはずがない。

いつも仲良くしているグループの中で自分だけが、もう一年受験生でいることとなった。

 

浪人が決まった時はこれと言ってショックでもなく、ああ、そうですよね、と言いた具合に冷めた気持ちでいた。

浪人が決まったところで、一憂するつもりなんてない。というより、自分自身の生き方に関わることで既に挫折を経験しているのだから、今更一年大学生になるのが遅れたところで、どうということもなかった。

幸いというか、皮肉というかなんというか。

より辛い経験をしてしまっている以上、そこに至らないものは「その程度」のものになるからどうということもない。

 

こう考えると、タフになってしまったな、と自嘲気味にも苦笑してしまう。

 

春休み

卒業してから、一応の春休みを迎えた。

みんな大学生になるまでの休みを堪能している。

自分も少しだけ遊びに出かける機会があった。

いつも一緒にいたグループのうちTと、もう一人、それからクラスは全く違うが、接点のあった人たち。この数人でバスケをしに行くことがあった。

卒業してからもTと一緒にバスケができるとは思わなかったから、素直に嬉しかった。

 

新横浜にあるスタジアムのすぐ側に広いスペースがあり、そこにバスケのコートもあった。

あまり出かけには来ない場所ではあったが、この地にはよく両親に連れられてきていたので昔から馴染みがあった。

 

夕方までバスケをして、夜ご飯を食べに行く。

ファミレスに行くこともあった中、一度だけみんなでしゃぶしゃぶを食べに行った。

たまたまTと隣り合わせの席になる。一度席についたあと、自分とT以外のみんなが席を外しお手洗いに行った。

 

半分が個室のようになっている席。

そこにTと二人きりになった。

隣り合わせで座っていたからか距離が近い。肩が触れ合うような距離感だった。

妙に静かになって

「誰もいなくなっちゃったね。」

とTが口を開いた。

距離感と状況にドキドキする。

Tに対して恋愛的な感情では持ってはいなかったけど、状況が状況だけにドキドキするのは仕方なかったのかもしれない。

それに、Tはいつも距離感が近かったから尚更だ。(手握られたこともあったし。)

卒業してからも、なんだかこういう、こそばゆい経験ができて安心した。

みんな変わってしまうと思っていたけれど、案外そうでもないのかもしれない。

すぐ隣にいるTと顔を見合った。

なんだか恥ずかしい。

「おーなんかいちゃいちゃしてんな?」

みんなが戻ってきた。

別にカミングアウトしているわけでもないが、このメンツからはホモとしてよくいじられる。

もう少し二人でいたかったのにな。

そう思いながら、少しだけTとの体の距離をはなした。

 

学生が六人いれば、話は異性との体の関係の話になる。

正直この手の話が苦手だった。自分の側にいてくれる人が、急に遠のいてしまうような感覚になるからだ。

Tの隣に、今自分はいる。

けれど、きっともう、どんどん離れてしまうのだろうな。

やりきれないというか、すごく切ない気持ちになった。

顔色にそれを出さないよう、必死だった。

 

バスケをするのは好きだけれど、このメンツはなんだか少し居心地が悪かった。

自分のことをホモだと過剰にいじるやつもいる。

このメンツから、自分は抜けることに決めた。

その後LINEのグループからそっと退会し、もう遊びに行くことは無くなった。

 

浪人期

春休みが明け、自分の周りの友達は皆大学生になった。

自分は本格的に、浪人期間の始まりだ。相変わらず彼への気持ちは冷めることがなかった。

結局のところ、自分のことを打ち明けはしたが告白することもなく、そのまま卒業してしまった。

大学生と、こちらは浪人生。

会おうにも会えない時間が続く。Tとは違って、彼とは遊ぶ機会をなかなか作れずにいた。

19歳を迎えても

7月、卒業してから初めて自分の誕生日を迎えた。

確か16の誕生日、彼から初めてプレゼントをもらったんだっけ。

この時の誕生日は、浪人という時期も相まって家族以外と会うことがなかった。

父からプレゼントとしてもらったのは、現金。

音が出る封筒に入っており、ボタンを押すとハッピバースデーの曲がオルゴールとなって鳴る仕掛けだ。

「これからも元気でいてください」

そんな一言が添えてあった。

両親にはもう自分のことを打ち明けてある。

ボタンを押し、オルゴールが鳴った途端、思わず泣いてしまった。

 

生きることをもう辛いとは思わない。だって両親が、自分の在り方を尊重してくれたから。

でも叶わない恋をしていること、そのことに変わりはなかった。

「できれば彼に、またお祝いしてもらいたかったな。」

父の優しさと、片思いの辛さ、みんな大人になってしまう寂しさ、そういうものがぐちゃぐちゃに混じり、

感情のが抑えが効かなくなった。

 

オルゴールは良くないよな。泣くに決まってる。

 

根底にあるのは、彼が好きだって気持ちと、父や母に優しく支えてもらえてることだった。

 

19歳の時に書いたブログ

今日で19年目。産まれてからとりあえず19年たちました

よくここまで生きてこれたな。笑

去年一昨年はどーなるかと思ったぜ。

卒業して、浪人が決まってとりあえず今にいたる。

ブログも久々。

未だに告白できてないし

未だにが好きだし。

向こうは大学があって、こっちは浪人で。

会おうにも会えない時間が1番つらい。

毎日毎日その寂しさとか、会いたいって気持ちを誤魔化しながら勉強とかしてるわけだけど

夜寝る前とか、ふと、何もすることがなくなった時とか

つらくなってしょうがない。

浪人終わったら、会えるかな。

会いたい。

 

 

続きは少々お待ちください。

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