劣等感に溺れる・前

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夜と朝とが隣り合う、隙間で

暗い部屋で無機質な明かりが、

まぶしいくらいに目を突き刺してくる。

流れる文字の羅列をなぞりながら 

今日も、自分とは違う誰かの生を

画面越しに眺めている。

 

「あーあ。今日も寝れなかった。」

 

誰もが寝静まる夜、自分の声がため息に混じりながら自室に響いた。

寝落ちするには物足りなさを覚える眠気、これといって活動しようとも思えない気力のなさ。

その二つのはざまでできることは、ただ他人の生をスワイプして流し見ること。

 

–遠くの方で、電車の走る音が聞こえる。

いい加減、自分の生にも主観的になる時間だ。

 

ゆっくりと寝不足の体を起こし 出かける支度をした。

 





劣等感 

僕はきっと「子供」ではない。

世間一般に言う「大人」とも、少し違うけれど。

でも、「子供」であった僕とはその昔、お別れしたつもりだ。

明瞭なお別れの瞬間が、あったわけでもないけれど。

 

他人と自分とを比べてしまうような「子供」な僕とは、

もう遠い昔に、さよならしたんだ。

「子供」な僕は、劣等感に溺れていた。

負けず嫌いで 自分が他人よりも「優れた存在」でいたかった。

それ故なのか、周りと自分とを比べては 悲観的になることが多かった。

自分の顔に、コンプレックスだってあった。

ある時を境に、写真で笑わなくなったのを覚えている。

そして高校時代、たまたま同じ性別だったあいつに

叶わない恋をした瞬間、

劣等感が塊となって 僕の心に巣くった。

 

「周りと同じように幸せになんてなれないんだ。」

 

狭くあさましい思慮で、そう思ってしまった。

 

比べること

人と比べたって 幸せになんてなれない

このことに気づいた時、

誰かと自分とを比較するのをやめた。

他人が何を思うが、しようが、

害がなければ、なんでもいい。

他人と自分を比べてしまい、何かしらの感情がそこに生まれてしまったのなら、

その分だけ時間も精神的キャパも、消費される。

 

悪いけど、自分の心のキャパシティは貴重なんだ。

僕は自分と、大好きな人たちのことを想うので忙しいからね。

 

そんなセリフを、どこかで聞いたことがある気がする。

自分の心を負の感情になんて、浪費させたくはない。

 

唯の自分であることの、証として

誰かと比べることをやめた。

でも、自分にはないものを、相手の中に見つけることもある。

それを、羨ましいと思うのはきっと、自分と相手を比べてしまっているからだ。

自分にないものを素直にすごいと思えるのなら、

きっとそれは、相手と自分を優劣で考えるのではなく、フラットに、個として並列に考えているのだと思う。

相手の幸せを素直に喜べる人もきっとそうなんだろう。

優劣なんてものは無く、ただそこに自分と誰かがいるだけ。

そんな風に考えられる人になりたい。

 

自分にはないものが相手の中に見つかって、

同時に

相手の中にはない自分も、沢山見つけることができたのなら。

それはきっと、僕は他の誰でもなくって、唯自分は自分なんだってことの証なんだと思う。

それが分かった瞬間はきっと、

幸せなものだ。

 

 

『劣等感に溺れる・後』はこちらから。

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